スナークの憂鬱

場末の基礎系大学教員がね、ときどき何かを吐き出したり、真顔で法螺を吹いたりする。

たまに見つかる良い論文

大学院の演習や研究室のミーティングでは、定期的に抄読会が開かれます。

 

抄読会というのは、メンバーが順番に読んできた論文の内容を紹介するもので、大学院の演習では「論文の読み方」を学んだり、ゼミでは論文情報を共有することで論文を探したり読んだりする「効率を上げる」ために行われます。

 

私の立場だと、自身が紹介するというより、若手教員や大学院生が紹介する論文について、それをどう読むかを指導することが多い年齢になってまいりました。

 

まぁ、多くが「なんでこんなクソ論文を読んできたん?」とか、「この論文の結果からは著者の主張は導けないけど、なんで無批判に受け入れちゃった?」などと小一時間(!)問い詰めることになるわけですが・・・

※実際は、背景~目的の文脈は正確か、目的を解決する方法と結果になっているか、結果が正しく解釈されているか、といった読み方を教えながら「だからこの論文には読む価値がほぼ無い」ということを伝えます。

 

 

そんななか、ある修士課程1年生の持ってきた論文がなかなか面白くて、久しぶりに抄読会で気持ちがあがりました。現状の問題点をいろいろと解決してくれそうな内容なんです。

 

私としては、なんで現在の主流になってないんだろう?と不思議でならず、論文追跡意欲がモリモリ出てきて、ちょっと嬉しいですね。

 

この論文は「新しくてまだ知られていない」というわけではなく、なんと1981年に発行されたかなり古いものです。

 

発行から40年で800回ぐらい引用されてはいるものの、この5年では年間10回程度の被引用数で、主流からは程遠いところにいます。一部で活用されているだけなのかな?

 

 

細々とはいえ連綿と受け継がれてきた内容ともいえるかもしれません。この受け継がれてきたであろう経過を、これから辿っていくことになります(主に学生が)。

※この40年間のどこかで「やっぱダメだ」となった可能性もあります。

 

 

いずれにしても、とても楽しみ。

 

 

 

そして、私の大学院生が(偶然かもしれませんが)こういう良い論文を探し当てられるように成長したことがとても嬉しい。

 

 

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