スナークの憂鬱

場末の基礎系大学教員がね、ときどき何かを吐き出したり、真顔で法螺を吹いたりする。

大学院生が素直過ぎる

昨日の続き。

 

総説論文で概要をおさえたら、

次はその中で語られた原著論文を詳細に読んでいくわけですが・・・

 

初学の頃には必ず、論文を読む時に「批判的に読め」と教えられます。

鵜呑みにせず、頭から否定したりもしない、ということですね。

 


私の大学の院生たちを見ていると、これがとても難しいみたいです。

論文に書いてあることをマルっと信じて紹介しています。

 


私が大学院生だったころは、周りも含めてなんというかもっと尖っていて、大学院生でそこまで素直に論文の内容を鵜呑みにすることは少なかったと記憶しています。自分の過去が美化されている?と思わないでもないですが、論文抄読会などで「その実験方法だと意味なくね?」「そんな解釈にはならんだろ」などと学生同士でツッコミあいながらキャッキャしてたのは間違いありません。

 

それに比べると、私の大学の抄読会では、紹介者は内容を信じてしまっているし、それを聞いている学生も(なんなら若手の教員も)それをそのまま受け止めていて、毎回「ちょっと待てーい」となってしまいます。

 

これは卒論経験の有無とか(医療者養成大学ではあまり卒論を書かない)、既に医療者として働いている(「傾聴」が染みついている)とか、そんな理由なのでしょうかね。。

 

 

世の中には読む価値のない論文が溢れていることを、その無価値な論文の「何が・なぜダメか」という視点も含めて早いうちに学んでおく必要がありそうです。

 

医療者としてエビデンスのレベルを知ることは教育に組み込まれていますが、そもそも「エビデンスレベルが低い」とかいう以前のクソ論文もいっぱいあることを、学部教育の段階で伝えないといけないのかもしれません(大学院進学者だけが知っている、みたいなのは良くない)。

 

 

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